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執筆者の写真odorusakana

斜めに見ること。横断すること。


ノルウェーに来て一ヶ月が経とうとしています。

彼女がこっちに来るまでの一ヶ月、1人でどうなることかと思ったけれど、

ほぼ毎日スタジオに通い、自作模型を展示させてもらい、トークイベントにWSまで開けました。

これらは全て、知人や自分が街を歩いて知り合った人をを介して得たものです。

また、在留カードも仕事もDナンバーと呼ばれるIDも銀行口座開設も一ヶ月以内に全て完了しました。

日本語で検索して得られるネット上の情報では二~三ヶ月かかるらしいこの行程、

初めからこちらの人に相談していれば実は2週間ぐらいで完了していたかもしれません。

僕はついつい理解しやすい日本語の情報に吸い寄せられてしまいました。

最後の銀行口座の開設なんて、

今僕が持ってるIDでは開設できないと言われ、

正しい番号を持っていても外国人は通常一ヶ月以上かかるとネットに書いてある上に今は夏休み、、、

どれだけ時間がかかるんやーーーーーーーーー!

とお手上げ状態だったのに、

昨日の申し込みから24時間かからず口座番号を手に入れてしまいました。

W杯の予選リーグ第3戦の最後の10分間の戦い方についてみんながあれこれ言っているのを見ながら、

実際はどうだったんだろうかと考えを巡らせていたところにこの銀行の件。

人は本当に自分の見えてるものしか見えないし、見たいものしか見ようとしないみたいです。

最近、大学で何を学んだのかと(英語で)聞かれることが多く、

答えに困っていました。

学士では文理融合を掲げた専攻で定義のあいまいな「教養」(リベラルアーツ)を、

修士では体系的な哲学を学んでもないのに「哲学」を、

それぞれ何の学位をもらえるのか気にしたこともなく取得していて、

日本語でも説明がややこしいのに英語で、しかもダンスをやりたいなら

大学か専門学校でダンスを専攻するのが当たり前の感覚の人たちにどうやって説明したものか、

という具合に。

「その情報が正しいかどうかを判断できるメディアリテラシーがこれからは重要だ。」

これは僕らの世代から高校で始まった始まった科目「情報」の最初の授業で言われたことです。

また、大学の数少ない必修科目でも口うるさく言われていた気がします。

(そういえば、僕の専攻で希望者が取れた教員免許はこの「情報」科目でした。)

世の中を斜にしかみれなくなるので社会に出るのに不利な専攻だと言ってる学生がいて、

それの何が問題なんだろうと当時からそう思っていましたが、

今改めてその情報を疑ってかかる姿勢、

どのタイミングでどこから誰が誰に向かって発信した情報かを見極め、

実際に何が起きているのかを理解するというのは重要だなぁとしみじみ感じています。

体についてなんとなく当たり前に言われていることを疑ってみる。

各分野を横断してそれぞれの当たり前を参照しながら体を再確認・再発見してみる。

そしたら踊りがどう変わるのかを知りたがっている。

よくよく考えたら今自分のやっていることはわかりやすく大学時代の影響を色濃く強く受けていて、

とりあえず卒業したような感覚でいただけにかなり不思議な気分になっています。

そこにある情報から実際に起きていることを正確に読み解くというのは簡単ではなく、

その感覚はぼーっと生きていたら身につくものじゃないのかもしれません。

だって人はやっぱり自分の知っていることが正しいと信じたいし、

不安になると目の前情報を鵜呑みにして振り回されてしまう。

それでも、少しでもそのことに気がつけたのはどうやら大学時代のおかげなので、

今度大学で何を学んだと聞かれたら、 世の中を斜めに見ることを学んだというのを直訳して伝わるか怪しいので、

「世の中を各分野の常識にとらわれずに違う角度から見る思考を学んだんだ」

とでも答えることにします。


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