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  • なんでもないこと

ぼた雪


美しい木版画を見た。

版木の木目が少女の顔に手に指先に美しく刻まれていた。

それは、その作家の代表作ではなかったかもしれない。

しかし、そのモノクロの版は今日見た彼のどの版よりも印象深かった。

こういう踊りがしたいと思った。

同じ作家の別の作品が目に止まった。

何かがその一枚に凝縮されていた。

その重ねられた色に、その彫られた線に、

並々ならぬ力を感じた。

あとで年表を見ると、

その作品を制作した年に彼は版画協会を脱退していた。

「自分の作品はこうだ」

そう宣言する作品の一枚だったんだろう。

こういう作品を作ろうと思った。

昨日、働いているゲストハウスで一人の歌い手が歌を歌った。

歌い始める直前に買い出しから帰ってきた。

自転車を停めている時に、

彼がギターを手にして椅子に座り直しているのが見えた。

これから何が起ころうとしているのかすぐにわかった。

そのまま部屋に滑り込み、正座して彼の歌を聴き始めた。

体が踊りたがっているのがわかった。

でも立ち上がれなかった。

入るべきタイミングが来るのがわかっていた。

(彼は多分そんなことは意識していない。)

でも目の前でそのタイミングを逸した。

僕は準備ができていなかった。

そんなばかな。

仕事終わりに踊りに出た。

いつものお寺へ。

調子が狂いそうになると深呼吸しに行くお寺へ。

夜に訪れるのは初めてだった。

間も無く半分になろうとしている月がきれいだった。

つい先日まで満月だったのに。

ばかやろう。

なにをしているんだ。

そんな気分になるのはそういえば久しぶりだった。

実を言うとそのとき既に気分は落ち着いていて、

ただ自分の吐息が、

杉並木からこぼれる街灯と月明かりに照らされて、

白く輝くのを眺めていた。

怒りが消えた自分に腹が立って、

一度だけ、ばかやろうと呟いた。

どうでもよくなった。

燃え尽きて風邪を拗らせて対話が途絶えている身体と、

そろそろ向き合い始める頃かもしれない。


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