「正しい姿勢なんて無いんじゃないか」
身体の仕組みとか成り立ちを考えるようになって程なくして、そう考えるようになった。
筋肉(その中にある筋細胞)の性質として、1働くと4休むというのがある。
神経を通して筋肉に「縮め!」という電気信号が送られると筋肉は縮む。
だけども、細胞単位で考えると一瞬しか縮んでいられない。働ける時間は1秒以下だ。
実際に運動するときには全部の筋細胞を一気にオンにはしないからもう少し長く力を
入れ続けていられるけど、
(というか、一気に全身の筋肉全てをオンにしたら固まるだけで動けない)
全力で握り拳を作ったら数秒で腕がプルプル震えだすように、
筋肉は同じ仕事をずっとやり続けるのがあまり得意では無い。
だから、最小限の力で姿勢を保つ秘訣は、
「同じ姿勢を保ち続けないこと」
みたいな答えになってしまう。
身体にとって省エネな状態を考えると、疲れてくる前に姿勢を変えるのが一番だ。
おそらく、動物の身体は動くのに適した構造になっていて、止まっているのに最適化されていない。
そうだとしても、省エネな状態、というか身体にとって適した動き方というのはあるはずだ
と探っていたら、20%以下の力で動き続ける、というのを思いついた。
1働くと4休むのが筋細胞の性質だとしたら、同じ筋肉の中で筋細胞が20%ずつパートタイム制で働けば、交代で休みつつ無理なく動き続けられるんじゃないか、という発想だ。
何を持って20%とするかは難しいけれど、ゆるゆると動き続けるのは気持ちがいい。
なるべく力を使わないよう、腕や脚(時に頭も)などの末端部分を持ち上げずに
手足足先で身体や床を撫でる様に動き続けていると、身体の芯から温まってくるし、
動くことで身体がほぐれてくる。この「動くことで体がほぐれる」というのがポイントで、
錆びついた機械をもう一度動かそうとする時に、オイルを差したりもするけれど、
まずその部分をガチャガチャ動かしてみる様なもんだと思っている。
(身体はもう少し優しく扱わないといけないが。)
まあ実際はそれでも15分も動き続けていると疲れてくるし、何より飽きてくる。
でも、その頃には十分身体はあったまってほぐれているし、ウォーミングアップには十分だ。
それでまだ張っているところがあれば、マッッサージやいわゆるストレッチでほぐせばいい。
姿勢の話に戻ると、ほとんど止まってるように見えても体重の掛け方をかえ続けていたり、
身体の中での力の入れ方を変え続けていると案外楽だったりする。
時々デッサンのモデルをやる事があるけれど、20分間本当に止まっているとどんな姿勢でも
辛くなってくるけど、同じ様に手を床につけている中でも、
小指→薬指→中指→人差し指→親指→小指、という具合にちょっとず体重の掛け方を変え、
外からは目に見えない程度に動き続けていると同じポーズを保つのも思ったより辛く無い。
こういう経験からも、正しい姿勢(=ポーズ、静止した形)なんて無い気がしてしまう。
身体にとってはポーズを取る事自体が苦手で、理想的な姿勢というのがそもそも愚問なのかもしれない。
だから、正しい姿勢があるとしたらそれは社会的に正しい(美しい)とされている姿勢で、
身体にとってそれを強いられる事が負担だ、ということは起こりうる。
日本人が良しとしてきた背筋をピーンと張る姿勢は、
骨を積み木みたいにまっすぐ細く縦に積み上げた状態が一番良い姿勢みたいな発想で、
体の構造を骨を中心に見ている。
だから、古武術の動きなんかを見ていても背筋をピンと張った姿勢を崩さない。
足の裁きで積み木タワーを崩さない様に動き回る、上半身がめっちゃ固い動きに見える。
全身でバランスを取るのではなく、
強靭な下半身、つまり足腰で上半身の塊を支えようという発想なのかもしれない。
これは骨を中心に捉えて身体を裁く方法としてはある種の到達点に辿り着いているのだろう。
しかし、残念ながら骨を積み上げるだけでは人の身体は直立姿勢を保てない。
保健室にいるガイコツくんも、自分の身長以上の長さのポールによって支えられているから立っていられる。
それに、一番自由に動く肩関節の肩甲骨は、肋骨の一部とボルトで留められてしまっている。
(んなアホな!)
残念ながら、これがこれまでの僕らの身体観だ。
今、解剖学をちょっとまじめにやると、すぐに筋膜とか筋連鎖とか、全身の連動の話になる。
そして、もれなくテンセグリティという構造が出てくる。
簡単に言うと、僕らの体の構造っていうのは骨が身体を支えているのではなく、
骨と靭帯と筋肉のネットワーク、さらにそれを覆う網(筋膜)や皮膚なんかもてひっくるめて
全体で支えあっている構造なんだってこと。
言葉で言うとややこしいけど、このテンセグリティの模型を作っていじって眺めていると、
またそれをイメージしながら身体を動かしているとなんとなくしっくりくる。
身体がそういう性質の違うもののネットワークで出来ているようにしか思えなくなってくる。
身体がテンセグリティの模型と同じ構造をしているわけでは無いと思うけど、
積み木を積み上げた構造では無いし、操り人形のように上から吊られて成り立つ構造でもない。
土台を押すとゴムが緩んでぐにゃりと崩れる人形も、カニとか昆虫の身体を考える上では役に立つ
かもしれないけれど、脊椎動物の構造とは似て非なるもの。
そうすると、やっぱりこの構造を探ってみるのが面白い気がしている。
柱が斜めにゴム(紐とかワイヤーでもいいけど)に寄っかかって、
ゴムもまた柱に引っ張られているだけなのに立体が成り立っているし、
なんなら柱が浮いてしまっている。
ぱっと見複雑そうだけど、作るのに計算機も物差しも秤もいらない。
バランスを調整するのに最初はちょっと手間取るけど、バランスを取るのなんて自然の得意技。
だから、テンセグリティは何も特殊な構造なのではなく、僕らが認識できていなかっただけで
そこらへんにいっぱい転がってる普遍的な構造なんじゃ無いかと思っている。
だから、身体の中にもそういう構造とか関係性があふれているとしたら、
何が見えてくるだろう、というのが去年からやっている「からだ再発見ラボ」。
こちらの感度や理解度が上がると、同じものを見てもべつのものを見出すようになる。
半年前にやった個展「ムイミニフレル」で自作テンセグリティの模型とか、
それまで研究していた事を全部表に出したらそのあとどうしていいかわからなくなって
三ヶ月ぐらい放置していたけど、最近になって触り始めたらまた面白くなってきた。
また一つ、センサーの解像度があがった感じ。
昨日、超シンプルな運動の原理みたいな事を思いついたから、
もう少し整理したらまた書きます。(たぶん)