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執筆者の写真odorusakana

「関係」を見る


前の記事で、踊りとは祈りなんじゃないか、というようなことを書いたけど、

もう少ししっくりくる言葉が見つかった。

踊りとは「関係」である。

関係とは何かと何かの間に生じる何かである。

その何かは、物体ではなく事象、モノではなくコトである。

踊りは、身体が関係したコトが起こり続けることであり、

身体を通じて何かと関係し続けることである。

「『交換しつづけるコト』自体が、人間の人間たる所以だ。」

小倉ヒラクさんは著書"発酵文化人類学"の中でこう書いている。

お隣さんから何かをもらい、代わりに何か別のものをあげる。

もらったものを別のお隣さんにあげて、代わりのものをもらう。

縄文時代の黒曜石の貿易だってそういうやりかたをしていたようで、

飛脚のにいちゃんが一人で彼方の国まで運んでいたのでは無いことがわかってきている。

僕らは誰かと何かを交換し続けることよって社会を形成し、人間として生きてきた。

交換がストップすると(=コミュニケーションを止めると=関係が途切れると)

バランスを崩して病気になるのも頷ける。

これは、ヒトの身体も同じ。

まさに福岡伸一さんの言うところの動的平衡で、

常に常に細胞が入れ替わることでぼくらの身体は成り立っている。

この細胞の交換に異常をきたすと例えばがんになり、

交換が止まるとヒトは死ぬ。

細胞だけでは無い。

食べ物も、水も、酸素もそう、ありとあらゆる方法で身体は交換を続けている。

交換し続けること自体が、人の身体が人の身体たる所以である。

踊りは、「この外部と何かを交換し続ける」という関係で成り立っている身体自体を、

さらに何かと別の関係を切り結ぼうという試みだ。

音楽と、人と、光と、匂いと、温度と、肌触りと、そういうものを全部ひっくるめた空間と、

身体を通して関係し続けること。

それによって生まれるのが踊りなんじゃないか、というのが僕の見解で、

踊りを見るというのは動いている人の身体を見るだけではなくて、

人が動くことで刻一刻と変化していく「場」、

その「場」自体の動きもひっくるめて見て楽しむことなんじゃないか。

それは踊っている空間を見る(というか全身で体感する)ということかもしれない。

だから、踊りの上手い下手は空間を踊らせることができるかどうか、

空間とともに踊ることができるかどうか、

その場と関係を保ち続けることができるかなんだろう。

それはたぶん身体能力の高さとは直接関係無いし、ポーズの美しさとも違う。

映像や写真には映(写)りきらないかもしれない。(醸し出されるかもしれないけど)

もちろん、踊りは動くことから始まるし、

見かけの動きは止まっていても身体の中は絶えず動いている。

重要なのはその常に動いている身体の中で生じている関係を自覚していて、

その関係をひっくるめた身体を扱えること。

いろんなことが起きている空間とともに踊るには、

おなじくらいいろんなことが起きている身体と仲良くないとこちらが負けてしまう。

ヒラクさんによると、発酵の研究もこれからは菌単体の性質ではなく発酵が起きる菌床の性質

(そこにいる菌同士の関係性とかを含むバランス全体の性質)なんだそう。

解剖学もそう。

個々の筋肉や骨の性質ではなく、もっと全体の連鎖とか連動で考えるようになっている。

踊りとは「関係」だ、というのも同時代(コンテンポラリー)的発想なんだろう。

個々の性質の話ではなく、群れ全体の性質・連動の話。

ブロックチェーンだってまちづくりだって同じ。

強いリーダーが率いる同じ性質を持った個が集まる群れではなく、

リーダー不在でも有機的に機能する群れが光を浴び始めている。

これはやっぱりテンセグリティーだ。

構造が発見されてから70年ほど経っても使い道のわかんないやっかい物だと思っていたけど、

単純に時代が追いついていなかっただけだろう。

(ここ数年で流行っているピラティスだって実は100年ほど前にメソッドが作られている。)

個人主義でも無く、同調を要求する社会でも無い新しい社会のあり方は、

この構造を人が感覚で理解し始めたら可能だと思う。

話はそれたけど、

踊りが「関係」というのは、関係だけを抜き出すのとは少し違う。

関係だけを抜き出すんじゃ無くて、

「人」のなかにある関係、

「人」と「人」の関係、

「人と人」と場の関係、

そーいうのがマトリョーシカ的かつ全部実はゴムや紐で繋がっててそれぞれてんでバラバラに動くんだけど

なんか有機的に連動してバランスを取っている状態、

すなわち「テンセグリティ」的な状態、

それがどんどん変形していくのを面白がるのがこれからのダンスの真骨頂なのかなと。

無理くりまとめると、

ダンスは、「人」が踊るのではなく、

人が場と関係を持つことで生まれる何かであって、

ダンスを見るというのは、

その人が場と関係を持つことで醸し出された現象としての踊り、

それを眺めることなんじゃないのかなぁと思うのでした。

これから始める、というより、もうあちこちで起きている気はするけど。


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