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よく見つけたねー


「よく見つけたねー。」

自らが書き残した手記を目にした元兵士はこう漏らした。

とある戦争ドキュメンタリーで、当時の兵士の手記から本人を探し出してインタビューする場面。

調べている方からしたら、出会った文書や証言を頼りに本人を辿っていくので、本人がご存命なら会いに行くわけだし、当たり前の作業をしている。

でも、本人からしたら、存在さえ忘れていたような手記、二度と目にすることはなかったかもしれない手記が突然目の前に現れたわけだから、それは驚きなんだろう。

だから、「よく見つけたねー」となるわけだ。

なんでもないようなことなんだけど、気になった。

どういうことなのか、もう少し考えてみよう。 【追記】 手記も元兵士のおじいさんも、その当時から70年間ずっとこの世の中には存在していた。 今回の場合、ドキュメンタリーの作者は戦時中のとある作戦について調べていたわけで、そのおじいさんの資料は一つの手がかりに過ぎない。(one of them) でもおじいさんからすると、それは自分以外の誰のものでも無いし、その手記が帰ってくる場所があるとすればそれを書いたおじいさんのところ。(the only one) その一方で、 おじいさんからすると、無いに等しいもの。ただのメモ書きか日記、あるいは仕事の日報。記録すると忘れる類のもの。でも、 その記録を見つけ、かつその内容に価値を見出した人にとっては、かけがえの無い記録。その方が生きているとしたら奇跡かもしれない。 なんだかやっぱりよくわからない。 おじいさんの言葉が、 「よく調べたねー」だったら何も気にならなかったんだと思う。 でも今回は「よく見つけたねー」だった。 なんだろうこの「よく見つけたねー」は。 まだまだ考えてみる。 【追々記】 ちがうわ。 これはおじいさんが手記に再会するという文脈と、 手記を道具としておじいさんに会いに行くという文脈がまるで違うから面白いんだ。 ドキュメンタリーを見てる側としては、ある出来事にまつわる手記が残っていたからご本人に会いに行くという流れで物事を見てる。だから、そのおじいさんに行き着くのは当たり前としてみてる。 よく探したんじゃ無い。探したらそこに手記があった。だからおじいさんのところに持ってきた。 でも、おじいさんからしたら、どこにいったのかもわからない、記憶のはるか彼方にあった手記を番組の記者が見つけてきたのだ。 誰にも話さないつもりでいた戦争の話をしなくてはならない状況だったので、おじいさんからしたら、作者はよくまあいろいろ調べて自分のところまでやってきたな、「(自分が)見つかってしまったかー」「(自分のことを)よく調べたねー」というような心境だったのだろうと勝手に想像しながら見ていた。 でも、「よく見つけたねー」だった。 そこには「(手記が)よく残ってたねー」というニュアンスが含まれていた。 まるで、転校して疎遠になってしまった人に昔手渡したラブレターを誰かが持ってきたみたいな反応だった。 もちろん、その内容なんて見たくは無いわけだ。

思い出したくは無いわけだ。(もちろんラブレターどころの騒ぎでは無い) でも、一瞬なんだか嬉しそうだった。 人ってそういう心境になるんだなぁ。。。 いやー、いい「よく見つけたねー」だった。


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